戦争体験者「戦争に負けてうれしかった」 →理由が衝撃
75年前の今日女学校の1年生の私は、体育館で玉音放送を聴きました。訳はわからなかったけど、戦争に負けたと、、毎日暗い電灯に黒い布で覆ってた布を取り、明るいところで夕食を食べました嬉しかった、久しぶりの明るい夜でした。
みんなの反応
@hiroloosaki 私の母をはじめ、明るさが印象に残っている方は多いように思います。
「防空頭巾いらないんだよ」といわれたのをよく覚えているとも申しておりました。
@hiroloosaki 今年89歳になった母も、明るい電灯に戦争が終わったことを実感したとよく言ってました。
今は入居している施設も面会ができませんが、部屋でどんな想いで今日を迎えているのか、ツイート拝見してふと気になりました。
@hiroloosaki @aiko33151709 90歳の母も、戦争が終わり「ホッとした」と言っていました。
@hiroloosaki @FujiJutaku_No1 85になる母が疎開先で「先生が『チクショー、チクショー』と涙を流している意味がわからなかった」とよく話しております。
それに続き祖母との戦中の話をしてはいつも泣いております。戦没者に鎮魂の祈りを…
@hiroloosaki ヒロコさんと同じお話を昭和3年生まれの知人の方から聞いた事あります。部屋が明るくなって嬉しかったと😆皆でとるので食べる草がなくなって困ったとか。 貧困の極みだったと😰
#終戦記念日
@hiroloosaki 今年90歳になる私の母も、戦争に負けて悔しい、というよりも安堵の感情が勝っていたようです。
空襲の恐れもなくなり、ほっとしたというのが普通に感じることなんでしょうね。
これからも普通の日常生活が送れるような日本であってほしいものです。
@hiroloosaki @madoka_yng ちょうど同じお年頃の(両親が経営する施設の)利用者さんが、「ああ!もう防空壕に入らなくていいんだ!おしっこも我慢して隠れてなくていいんだ!って、本当に嬉しかったねえ」と、よく語っておられます。実感こもってます。
@hiroloosaki フォローさせていただきます。恒久平和を祈るばかりです。祖父が戦時中軍需工場で働いていた時空襲に合い必死で逃げた話をしてくれました。真っ黒に焼けた親子とみられる遺体が忘れられないと、今は亡くなっておりませんが…。戦争は非道です。
@hiroloosaki リツイートで拝見しました。明るい夜、という言葉がとても印象的でした。
私もカトリックです。今日聖母被昇天のミサへ行って参りました。マリア様の祭日と終戦の日が重なっていて、毎年ミサで亡くなった方のために祈る… https://t.co/gUMKWs41Jc
@hiroloosaki 89歳の祖母も「やっと夜、明かりをつけられる」というのが一番だったらしいです。
井筒屋@活字(元:スタンドアローン)@NyyrlJ3jSFT4Sw3
@hiroloosaki いくら本を読んでも、実体験に勝るものはない。
私の母も、92歳。
浜松で空襲の中、逃げ回ったそうです。
父は亡くなりましたが、幸いにも特攻隊で飛び立つ数日前に終戦。
@QQ14033028 @hiroloosaki うちの母もうれしくて近所を歩き回ったと言っておりました。
@hiroloosaki 初めまして。淡路島出身の祖母は玉音放送直前、米軍から威嚇射撃をされたそうです。(海辺で幼馴染みといたそうです)放送直後、もう飛行機は飛ばないんだと安堵したと聞きました。どんな思いで海から上がったのかと寒気… https://t.co/8ZnzCurqd4
@hiroloosaki @yuyu_1815 「終戦ではなく敗戦だ」と言う意見…全くその通りだと思います。
その一方で亡き母が「あぁこれで空襲がなくなる。助かった」と思ったと言うのも実感としてよく分かるので,私にとって今でも8月15日は「終戦の日」です。