【悲報】ベルリンの壁、みんな間違ってイメージしてる


みんなの感想まとめ

壁の構造は時期や場所によって異なり、全期間この図の通りだった訳ではありません。が、映像等からイメージされる崩壊当時の構造はだいたいこれだったはずです。
連合国軍人は協定でベルリン全域の自由立入が認められている(全ベルリン市は連合国共同占領が建前)ので、IDを見せる必要すらなく自由に東側へ出入りできました。外国人は出入国手続をすれば、西側住民は許可を得れば東側に入れました。
東独当局は西側地区はもちろん、境界線に触れることすらできないので、その内側に壁をつくったんですな

よく引用される図ですが、東西国境に何もなかったということはなく1952年から鉄条網その他で厳重に封鎖されていました。自動発砲装置の設置もベルリンでなくこちら。西独も再軍備前から軍隊建制の国境警備隊を置いて厳重に警備しています。 pic.twitter.com/tKbT3BenKw
「ベルリンの壁には地雷があった」とよく言われてますけど、根拠文献を見たことがない。「ベルリンの壁の物語」に列挙された死亡経緯もほぼ射殺例だし、なかったんじゃないか。
dailysoft.com/berlinwall/his…
@Suippi_Sltd @zeke_22 「ベルリンの野ウサギ」と言うドキュメンタリーで、壁の内側で大繁殖してた話しあったのを思い出した。
www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumbe…
@Suippi_Sltd なぜこれを教科書に書かないのか…
@Suippi_Sltd 崩壊の映像がだいたい一枚の壁を市民が壊している映像だからそういうイメージが付いたのかも。
@Suippi_Sltd 地雷はわかりませんが、自動散弾装置SM-70ならありましたね。
en.m.wikipedia.org/wiki/SM-70 pic.twitter.com/jiw4cRDtRe




@Suippi_Sltd 通りがかりの者です。

境界から1m(程度)東側に壁を作ったので、壁のすぐ西側を歩いているのは東側のテリトリーを歩いていることになる、と当時東側の体制内の方に言われたことがあります。

壁と緩衝地帯の写真がありますので、よろしければご覧下さい。 twitter.com/wimax_uq/statu…

@Suippi_Sltd この間結構広いから(写真で見た時は100mくらいあった気がする)、逃げようと思っても限りなく無理に近い状況

なお壁自体は割と低い

@Suippi_Sltd @kaoden_usipoo Sバーンで東に入ったことあります。駅の検問で強制両替させられましたね。
@Suippi_Sltd 誤解されてそうな事はもう一つありますね。

ベルリンの壁の位置関係。 pic.twitter.com/hmVndTYmM4

@Suippi_Sltd コードネームU.N.C.L.Eで観ました! pic.twitter.com/XSd09otuDV

@Suippi_Sltd 当初は右だったけど後々干渉地帯が増えてったんでしたっけ…?
@Suippi_Sltd 下手すると、今のドイツ人若年層はそんなこと知らない。
@Suippi_Sltd 堕落した資本主義から科学を基盤に計画された社会主義の人民を護る壁なんだよね(笑
@Suippi_Sltd @zimkalee 昔は常識だったんだけど、まあ30年も経てばなあ…
そもそもベルリンの壁知らんでしょ、若い人はなぁ。

@Suippi_Sltd 高校の世界史で習って壁を越えられない理由を納得したなぁ
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